「異魔人」

ある音楽家はこのような歌詞を書いた

「想像してごらん何も所有していない世界を。やってごらんよ、君ならできるさ。欲望も飢えも必要なく。人はみんな兄弟なんだ。想像してごらん 世界を分かち合っているみんなを…」

また、別の音楽家はこのような歌詞を書いた

「もうお金を数えるのは止めて。一緒に星を数えよう…」

素晴らしい、実に素晴らしい。
まったくもってその通りだと思うよ。
ただし、このような歌詞を書くのは大抵「持っている者」。
なんでこの世は「持っている者」がきれいごとや正論を言いたがるのだろうか?余裕か?心の余裕があるからそんな事言えるのか?実際そうなんだろうけど。

きれいごとや正論って間違いじゃない。間違いじゃないから正論なんだけどさ。それだけじゃ納得できない。なんなら、あまりにも正論を言う人間に怒りすら湧く。相手は間違った事は言っていない。それはわかっている。そもそも上から目線で正しいデータだけ突き出して、人は「納得」できるのだろうか?「説得」はできるだろうが「納得」は難しい。

言葉は「何を言うか」じゃなくて「誰が言うか」なんじゃないだろうか?言う人間、聞く人間のバックボーンも大事だし。その国の情勢や信じるもの、文化、歴史まで考えるとキリが無い。世界平和はそうとう骨が折れる道のりだ。

じゃあ正しい事なんて言えないじゃん。その通り。言えたもんじゃない。そもそも言えるような人間なんてどのくらいいるんだろうか?いないよね。困ったことに。でもこれじゃあ何の話も進まない。進みようがない。難しいね。正論で相手を言い負かしても、相手は決して納得することはない。だって感情があるから。理詰めの果てにあるのは、不満、諦め、思考停止。

だからこの世には嘘があるんだろう。
多様性を認めるためには小さい嘘がたくさん必要で。理解しようとしても、理解できない場合でも円滑に進めるために「わかる。わかる」って言っちゃうよね。これって嘘だけど優しいよね。

もしかしたら、最初に紹介した歌詞も「持っている者」からの「優しい嘘」なんじゃないだろうか?どうせ人間なんて欲まみれ。持てば持つほどそれがわかり。あんな事でも言わなきゃこの世は悲惨すぎるから。持たざるものには悲惨すぎるから。希望を託してって事で、「持っている者」からの「優しい嘘」。ま、「持っている者」じゃないからホントのとこはわからないけどね。せめてこれからの子供達が大きくなる頃には少しでも今より平和にっていればいいなぁ。と思う今日この頃。メリークリスマス。